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動画作成:向田 隆

2018年01月13日

サイレント生活

サイレント生活3日目。

1月18日の夕方、声が急にでなくなり、
近くの耳鼻咽喉科へ。

「相当悪いですよ、5日間、「あ」も「う」も言わないでください」
と脅される。

それから声を出していない・・・

5日間もする気はさらさらないけど、週末は静かに暮らそうと。

1月18日は新年会で病院の先生に相当悪い!の判断をくだされたのが、
新年会のはじまる2時間前。

急いで会社に戻り、使いそうな言葉を用紙にプリントアウトし新年会へ。





座席は元副総裁の先生の真ん前だった。
「声帯が異常に腫れて声が出せません」というカードを出す。
先生「うむ」とうなづいてくれる。
続いて
「明けましておめでとうございます」というカードを出す。
先生「うむ」とうなづいてくれる。

そんな自分だけサイレントな新年会を過ごし、

翌日は普通に出社し、声を使わずに仕事をする。
不便なもんだ。
電話が使えないのがこれほど不便なものかと。




最初は唾をのみ込むのも痛く、なんと一晩で2kgやせたが
ようやく痛みは治まり、食事もできるようになった。

昨晩の夕食がいつもは出ないのに「激辛のじゃがいも」
鬼嫁よ!のどによさそうなメニューをありがとうicon196

そして、本日1月13日。
なんとかのどは回復してきてる・・・・と思う。

明日までは静かに暮らそうっと。



  

Posted by タカ at 10:49Comments(0)日本での日々

2018年01月09日

ラフ族の村へ行こう!⑥

1月1日 ラフ族トレッキング最終日。
ガイドのジミーは1,2日歩いてきて疲れていたYちゃんにトレッキングをやめ、
車で行き、洞窟と温泉を見学するという代案を提案する。
Yちゃんがそれを選べば、私とるなだけトレッキングとなる。
だが、Yちゃんは最後までトレッキングをすると言ってくれた。




最終日のトレッキングの時間は2時間30分のみ。
一番短い。ただし、アップダウンはこの最終日が一番すごい。

村の外れからいきなり、急勾配の坂を登っていく。
めちゃくちゃきつい。
Yちゃんは最終日「きつい」と言わないと決めたのでもくもくと登る。
るなもきつそうだが、相変わらずたんたんと登っていく。






最終日はリュックはすべて車で先に運んでもらっているので身軽。
それでもこのアップダウンはきつい。
途中、Yちゃんが草まけした手をジミーが森の木をつぶして手当をする。
こんなので治るのか?と思うがジミーに任せる。







滝が現れて、靴を脱いで川を渡り、バナナ林の中を抜ける。

「最後のUPだ」とジミーがいい。
みんな最後の力を振り絞る。ここの坂がきつい。
るなは歯を食いしばって登る。
Yちゃんは涙をためながら登る。









そして、ゴーーーーーーーーーール!

9歳のYちゃんと8歳になったばかりのるな、小さな身体でよく頑張った。
体力的にも、メンタル面でもきっと成長したと思う。

この異国での経験は今後絶対役に立つよ。
本当にお疲れ様。



  

Posted by タカ at 11:24Comments(0)タイランド ネタ

2018年01月09日

ラフ族の村へ行こう!⑤

パン・マエ・ナの村での宿は昨年同様、ガイドのジミーのおばさんの家。
昨夜の家と比べると断然過ごしやすい家である。
リュックをおろし、6時間のウォーキングで汗まみれになった身体をシャワーで洗い流す。
お湯がでると言っていたが、やり方がわからず冷たい水のまま使う。
この村ではマッサージができるので、200B=1時間でやってもらう。
2日間歩いた足を揉んでもらい明日の最終トレッキングに備える。
シャワー・マッサージとリフレッシュしたあとは、テラスで焚き火をして焼酎を飲みながら、夕食を待つ。








子どもたちは近くでワイワイ騒いでいると思ったが、急にいなくなっている。
あとで分かったことだが、ジミーとジミーのおばさんと一緒に台所で料理をしていたのだ。
英語も単語しか話せないのにすごいコミニケーション能力だ。
ハンバーグ、野菜炒め、炒り卵の3つを日本食として作り上げていた。
知っている英単語を駆使し、作った料理に感動!








飲んでばかりで夕食を待っていた大人は反省。

夕食にはチェンマイからきたタイの若者2人も合流し、
大勢でにぎやかにご飯を食べる。
日本の焼酎をふるまい、
ジミーが森の木や草で作った不気味な酒をふるまわれる。
この不気味酒はタイガバームツリーも入ってるようでセメダインみたいな味。
Tさんはこの不気味酒が気に入ったようでガンガン飲んでいる。
つまみに豚の脳みそが出てきたりしながら楽しく盛り上がる。

今日は12月31日。
もうすぐ1月1日るなの誕生日ということでご飯のあとにはポッキーで作った誕生日ケーキでお祝いをしてくれた。




続く・・・  

Posted by タカ at 11:13Comments(0)タイランド ネタ

2018年01月06日

ラフ族の村へ行こう!④

朝起きたら、早速遊びまわる子供たち。
昨日のトレッキングの疲れが残っているかと思いきや、遊びは別腹って感じだ。
チンハイとチンタイの姉弟もやってきて、言葉も通じないのに4人で遊ぶ。
子供ってすごい!









朝飯はパンとチャーハンとゆで卵を作ってくれて好きなものをそれぞれ食べる。
子供らは持ってきたポタージュスープをお湯で溶かし飲む。
大人はジミーがコーヒーを作ってくれる。

その後、るなとYちゃんはジミーに呼ばれ、弁当のパッキングの手伝いをさせられる。
バナナの葉っぱで包むのはコツがいるのでなかなか難しいが、自分の分と親の分の2つずつしてくれた。
ありがとう。






9時30分いよいよ出発。
本日は6時間、ジャングルの中の獣道を歩く。
9歳と7歳の女の子には簡単なことではないだろう。
おばあちゃんに別れを告げ、また来るからね~という。
今度来る時まで、まだ元気でいてほしい。

村のはずれの墓地を目印にジャングルの中に入っていく。
ここからは獣道。






途中でジミーが植物のつるでペットボトルのドリンクホルダーを作ってくれたり、
ヘアピンを無くしたるなにバナナの繊維でヘアバンドを作ってくれたりする。
ジミーは森のものでなんでも作ってくれる。
子供らもジミーが優しくて好きなようだ。






熱帯のジャングルの中の山道をアップダウンし進む。
大人でもきつい。
半月板が割れている私は登りはいいが、下りは相当痛み、サポーターで何度も膝を縛りなおす。




途中、野生のミカンの木を見つける。
ジミーが長い棒で落として、るながそれを拾う。
皮が厚く、剥きにくく、果肉を包む皮も厚いし、甘くもないが、のどの渇きを癒してくれる。
森の恵みだ。
特に美味しくはないが数個食べた。



そこから1時間ほど歩くと大きな滝が現れる。
1年前もここで長女と昼飯を食べた。懐かしい場所。
ここで今回も食べる。
るなとYちゃんが用意してくれた焼きめしのバナナの葉っぱ巻きを各自受け取る。
恒例となった醤油をかけ、おなかが空いていたので一気に食べる。












ランチのあとは登山靴を抜き、サンダルに履き替える。
ここからは川を5回横断するのでサンダルのまま山を歩く。
こういう道のりも冒険みたいで面白い。
Yちゃんはこういう道のほうが好きなようで楽しそうにしている。
るなは相変わらずジミーの後ろを黙々と歩く。

川の横断が終わると登山靴に履き替え、再度、山道を歩き出す。
アップ、アップ、ダウン、・・・

そして、ジャングルトレッキング6時間後、パン・マエ・ナ村に到着。
今日のラフ族の村は昨日の村より少し発展してる。





続く・・・  

Posted by タカ at 10:40Comments(0)タイランド ネタ

2018年01月05日

ラフ族の村へ行こう!③

1年ぶりのパン・パ・ロウ村
新しい建物も建っており、ジミーたちの援助でソーラーパワーで電気も少しはあるらしい。
こんな山奥の村も日々、文明が進歩しているようだ。







文明が進歩したとはいえ、カルチャーショックを味わうにはまだまだ十分なこの村。
寝るのは高床式の家で隙間はいたるところに空いている。もちろん床にもあいている。
寝るところには絨毯が引いてあり、すでに敷布団もあり、上から蚊帳も吊ってある。
夜になると寒いので寝袋を持ってきてくれる。
昨年も同様だった。

シャワーが頭の上から浴びれるのは進歩したが、冷たい川の水が頭の上から落ちてくるので修行のようだ。
日中は暑いが、夕方は標高1500mなだけに肌寒くなる。
だから水がめちゃめちゃ冷たいicon04
汗をさっと流す程度で私もるなもシャワーを終えた。




今回お世話になった家も昨年と同様の家だったので、
長老のおばあちゃんがよく来てくれた(言葉は分からないので雰囲気で)と握手をしてくれた。
おばあちゃんはこの一年で体をすこし壊したようで歩くのがきついようだ。
るながお土産で買ってきたカイロを渡し、言葉が通じないので、ジェスチャーで説明する。
おばあちゃんは少し勘違いをしたが、最終的には理解してくれた。











夕食の準備をしてくれている間に、持ってきた焼酎をジミーとTさんとお湯割りにして飲む。
身体の芯から温まり、心地よい。
つまみは持ってきた柿の種と市場で買った「バンブーワーム」
バンブーワームはじゃがりこのようで美味しく、つまみ出したら止まらない。
昆虫食の中では美味の部類に入るであろう。
ジミーも焼酎を気に入ったようで、数杯飲んだ。

夕食にはパクチーはいれないでほしいというのと、辛くしないでほしいというのを子供ら2人のためにあらかじめ頼んでいた。
出てきたものはズッキーニーの炒め物、ほうれん草の炒め物、チキンとじゃがいものココナッツ煮とライス。
るなはズッキーニーとじゃがいもがお気に入りでバクバク食べる。
どの料理も癖がなく美味しいものだった。





一応、太陽光の電気はすこーーし来ているが、薄暗いのともういい感じで焼酎がまわっており、19時には私は就寝。
子供らよりも誰よりも一番に寝つく。

こんな正月に寝せるものか!と村人たちは外の広場で歌って踊って、飲んでいる。
爆竹もコンスタントにあちこちで鳴り響く。
ジミーが踊りを見に行こうと誘いに来るが、私はもう行かない。Tさん親子だけ、ジミーと一緒に見に行く。

23時になっても外の踊りや歌は終わらなく、歌声や騒ぎ声、花火の音が寝床まで聞こえる。
24時になっても終わらない。
1時になっても終わらない。
2時になっても終わらない。⇒私、起床!
3時になっても終わらない。⇒ニワトリ鳴き出す!
4時になっても終わらない。
5時になっても終わらない。
6時になっても終わらない。
7時、太陽が昇りだし、ようやく終了・・・・face07

一晩中やないかっ!!

もう太陽が出てるぞ~と暇なのでみんなを起こし、無理やり日の出を見せる。



12月31日、2017年最後の日が始まった。

続く・・
  

Posted by タカ at 16:58Comments(0)タイランド ネタ

2018年01月05日

ラフ族の村へ行こう!②

2017年12月30日。
トレッキングには使わない荷物をスーツケースに詰め込み、ホテルに預ける。
トレッキング終了後の明後日にはまた同じホテルに泊まるのでそれまで預かってもらう。
4人ともそれぞれリュックサックに2泊3日の着替えや必要なものを入れてある。
るなはチョコレート、お菓子、味噌汁、コーンスープなどの非常食がかり。
私は夜の楽しみの焼酎係。

バンでまずは1時間30分ほど北上。
途中、市場で20分停車し、水など必要なものを再度買い込む。
ここでつまみに高級虫食材「バンブーワーム」も購入。
200B=800円弱もする。
ちなみに昨年は150Bだった・・・
50Bの値上がり、今年はバンブーワームがあまり獲れなかったんだろうか






さらに北上し、登山ガイドのジミーと合流。
ジミーは昨年もガイドをしてくれた、本当に人の好いラフ族の方。
ジミーとは英語でこれから話をしていかないといけないが、ジミーの英語はゆっくりで聞きやすい。
娘らもジミー、ジミーとすぐに慣れたようで話しかける。






四駆に乗り換え、途中の村まで山道を駆け上がる。
村で10分ほど休憩し、いよいよ登山開始。

1日目 12月30日 3時間30分~4時間30分程度 車も走れる村道を歩く
2日目 12月31日 6時間程度 ジャングルの獣道を歩く
3日目 1月1日 2時間30分~3時間30分程度 ジャングルの獣道で斜度は3日間の中で一番きつい


普段の山登りと違い、3日分の荷物が肩に食い込み体力を奪う。
途中、ジミーが山の中で食べれるものを教えてくれたりする。
野生のグアバ、噛んでいるうちに甘くなるインディアンプラム、地元の料理にもよく使うイーグルフラワー。
るなはグアバもインディアンプラムも気に入ったようだ。
Yちゃんはもともと果物が苦手なようで、口に入れようとしない。






さらに進むとジミーが木を削りだす。
におってみろと木くずをみんなに渡す。
ツーンと湿布のようなにおいだ。
「なんか匂ったことあるよね?」と言ってるうちに、
ジミーが「これはタイガーバームツリーだ」という。
なるほど、どおりで親しみのある匂いだったんだ。






今日目指している村はバン・パ・ロウという村。
標高1500m。標高1200mから歩きだした。
お茶畑やコーヒー畑がときおり見える。
はるか遠くには雲に隠れた高い山も見え、ミャンマーの国境だと教えてくれる。

13時近くなってお腹がすき、ランチタイム。
ジミーのおばさんが作ってくれた、ヤキメシ+たまご+パインをバナナの皮で包んだもの。
私は濃い味が好きなので、ちょっと味が薄いかな?
子供たちが食べれなかったときのために非常用に持ってきた醤油をリュックから取り出す。
残ったバナナの皮は自然のものなので、そのまま捨てていい。
荷物にならない便利なパッキングだ。






ランチのあとも同じような道をアップダウンを繰り返し歩く。
子供達には慣れない異国で、慣れないリュックを持って・・・きっときついだろう。
タイの日中の日差しは強く、汗ばんでくる。





そして15時30分 標高1500mのバン・パ・ロウ村に到着。

続く・・・




  

Posted by タカ at 08:54Comments(0)タイランド ネタ

2018年01月05日

ラフ族の村にいこう!①

年末年始はタイ、チェンマイの北部の山の中、ラフ族の村で過ごした。
昨年に引き続き2回目である。
前回は長女あさひ(当時9歳)を連れて行った。
今回は次女るな(7歳、1/1に8歳)を連れて行く。

親子で参加するメンバーを声をかけたところ、2組の親子が申し込みをしてくれた。
1組は1か月前に会社の休みの変更で残念ながら断念。
我々親子とTさん親子の2組、4名で行くことになった。

私(46歳)
るな(7歳、1/1に8歳)
Tさん
Yちゃん(9歳)




実は11月ぐらいにほかにも行きたいと問い合わせを何組かもらったが、年末年始なのでもう座席がなかった。
また来年もやるので行きたい人には夏ぐらいから申し込みをしていただきたい。

余談になったが・・・

2017年12月29日

今回は中華航空とバンコクエアウェイズを使い、チェンマイまで行く。
登山の荷物があるので結構な荷物だが、福岡で預けた荷物はチェンマイ受け取りなので楽々。
機内では映画を見たりして子供たちも過ごしていた。
朝8時に家を出て、チェンマイのホテルに着いたのはタイ時間で21:00(日本時間で23:00)
子供らも疲れているだろうとホテルの隣の屋台で簡単に夕食を済ます。
餃子、焼きそば、焼き鳥、ビール。
餃子が好評で勢いよく食べるYちゃん(笑)
我々大人はチャンビールでのどを潤す。






元気の有り余っている?いや、異国でハイテンションになっている?子供らのために部屋飲みをすることに・・・。
タイ時間23:00(日本時間で深夜1:00)就寝

明日はトレッキング開始、頑張ろう!とみんなで誓い合った。

続く・・・
  

Posted by タカ at 08:06Comments(0)タイランド ネタ

2017年12月25日

ルナのクリスマスプレゼント

2016年クリスマスプレゼント





2017年クリスマスプレゼント






お前の好みはよく分からん・・・face04


  

Posted by タカ at 14:14Comments(0)日本での日々

2017年12月21日

バギオで英語留学

ルソン島北部の高原地帯に位置するバギオ




ここに11月下旬と12月上旬と二度にわたり行ってきた。

バギオは英語留学の盛んな地域で英語スパルタ教育の発祥。
フィリピン観光省お勧めのここの英語留学を漫遊でも積極的に販売しようということで視察。




バギオの良さは
1.標高1500mあたりの都市なので1年を通してフィリピンのくせにそれほど暑くない
2.人が優しく、治安がいい。
3.学園都市なので教員の質がよい。

マニラからは時間帯や乗るバスにより、所要時間が異なるが
深夜に走るノンストップ・トイレ付、めちゃくちゃ寒い冷房付きのジョイバスで4時間30分。
私が一度乗った各村停車のバスで8時間30分。




まあ、バギオは短期間で旅行だけでいくところではない。
英語留学で1か月や1年の滞在であればこの移動距離はなんてことはない。

フィリピン自体、欧米なんかの留学に比べると学費も生活費も安いが
そのフィリピンの中でもセブやマニラの語学学校と比べるとバギオの学費は安い。物価も安い。
しかも教育の質がよいときている。




今回はBESA(Baguio English School Association)の8校を視察した。

立地や設備はもちろんのこと、それぞれの学校に特徴があり、
スパルタだったり、セミスパルタだったり、
スピーキングを目標にしてたり、
IELTS教育を中心だったり、
TOEICの得点UPを目指してる学校だったり
学食が美味しい学校だったり

といろいろ選べる。

どこも愉快な日本人マネージャーがおり、サポートしてくれるのもうれしい。



弊社では、添乗員付きで安心!春休みに16日間(実質2週間の短期留学コース)を募集中!

また、個別の留学相談も実施しています。

お気軽にどうぞ!TEL 092-674-2012
  

Posted by タカ at 09:34Comments(0)フィリピンネタ

2017年11月17日

タヒチ パペーテ散策⑥

タヒチ散策の続き・・・

パオファイ公園




昔、大洋を航海した双胴船カヌーの出発や到着の時に偉大な儀式が行われたこの場所は栄光の航跡の記憶を保持しながら、現在では散歩が出来て子供たちの遊び場も
設けられた公共の公園となっています。
レースに使われるアウトリガ―カヌーがビーチに置かれてい、毎日朝昼と夕暮れ時には男性と女性の選手たちが先祖と同じ心でカヌーの練習をするためにラグーンに出かけます。

パペーテ港




パペーテ港には大きなパスと深いインレットがあります。
19世紀の中旬にパペーテ港の開発を開始し始めました。
1843年、ブルア提督はフランス政府にパペーテ市を首都として、そして港として選択することを提案しました。
1963年に太平洋実験センター(CEP)の到着と共に港にパシフィック区域にしては箸しく現代的なインフラを取得しました。
現代旅客港で、特にモーレア島の姉妹島との交通量により、フランスの第二の港になっています

海軍の司令官



フランス海軍は最初ロイヤルと次に共和党的にフランス領ポリネシアの歴史の中で重要な場所を確保しました。
都市の歴史的中心部に位置して、港の近く、通りの名は海軍の影響を反映する地域で、この壮大な建物海軍の司令官で長年の建物でした。
海軍のアーティストによってデザインされて、そのファサードは19世紀の軍事建築の完璧な例により非常に対称的な構造です。

ブーゲンビル公園




1934年7月に作られ、ベルギーの王、アルバート第1世の名誉の名だったこの公園の長い歴史の証人の壮大な木々を眺めることができます。
1968年4月に公園ブーゲンビルの胸像が設立されたためその名前になりました。
公園の最も特徴的な樹木の一つはパンの木(テュムウル)で、実一つだけで家族全員を食べさせることが出来るので、ヨーロッパの発見者が魅力を感じ驚きました。

ブーゲンビルの胸像




1729年にパリで生まれたルイ・アントワーヌ・ド・ブーゲンビルは世界旅行のために自然科学者、アーティストや天文学者を伴って1766年に航海しました。
フリゲート艦ラ・ブドーズに乗って1768年4月に到着した彼は、タヒチ島に上陸した最初のフランスの航海士です。
1909年に建築家のベルトーネがデザインしたブーゲンビルのブロンズ胸像はもともと海軍の建物の前に置かれていました。
1968年にブーゲンビルの胸像が公園に移転されました。

ゼレエのキャノン




タヒチにも戦争がありました。
ブーゲンビルの胸像の左側にある大砲は砲艦のゼレエのものです。
1914年に南シナ海からドイツ巡洋艦「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」は石炭の補給のためにパペーテの沖に現れました。
しかしデストトモ司令官は石炭の倉庫を燃焼させる命令を出しました。
空に上昇する暑い黒煙を見て、ドイツの砲艦はポートにあったゼレエを砲撃しました。
大砲は木材で作られた民間の建物を燃やして、巨大な火事となって、街の1/3ほ破壊しました。
ドイツの艦隊は石炭無で帰りました。

シーアドラーのキャノン




一部の船員のよって行われた゛クリーン゛な戦争記念。
郵便局に最も近い大砲は第一次世界大戦中にドイツのシーアドラ―に乗って有名になったフェリックスフォンルックネル伯爵によって命じられた14連合国の船舶を
死傷者なしに攻撃したものです。
この海賊船は83メートルの長さと1600トンの4つの鋼のマストを持ったスクーナーでした。
この静かに見える船は1200馬力のエンジンと強力な武器が装置されていました。
最後は愚かにも風下諸島のモぺリアの小さなサンゴ環礁で1917年に遭難しました。

マティスとホテル・スチュアート




伝統的な場所は。
フランスの画家アンリ・マティスは(1869-1954)61歳でタヒチに到着しました。
1930年3月29日にパペーテの港に上陸したチュスチュアートという最新のホテルに宿泊しました。
米国領事館に隣接してスコットランドのウィリアム・スチュアートと彼の妻がオーナーでした。
マーティスはパペーテのすべてが眺められる海に面した3階の部屋に泊まりました。
そこで窓から彼は最も有名な絵画の一つ、パペーテの港の眺めを描きました

公設マルシェ、マプルアパライタ




必見の場所です。
生き生きしたこの素晴らしい場所は、カラフルで感情に溢れていて、歴史的、文化的、特に社会的なパペーテの中心です。
午前6時からにぎやかな雰囲気の毎日です。
パンの木の実バナナ、タロイモ、サトイモなどの地元の果物や野菜がカラフルなスタンドに並べられています。
2階には多数のクラフトショップがあり、食物繊維で出来た帽子や貝殻のネックレスなどを販売してします。

パペーテ市役所




1890年5月20日の法律で制定され「3500人の人口の保ほぼ皆がフランス国籍を持っていて、周辺の島の主な商業の中心で、事実上の都市の重要性があることによって
パペーテ市が制定されました」。
その100周年を記念して、パペーテはフランス領ポリネシアの首都にふさわしい新しい市庁舎を造りました。
スタイルは19世紀のコロニアルスタイルの建築で、例にした女王の旧宮殿によく似ています。


※説明案内はタヒチ観光案内所の地図より抜粋しております。

  

Posted by タカ at 16:34Comments(0)タヒチネタ

2017年11月14日

タヒチ パペーテ散策⑤

タヒチアン・アカデミー・ファレヴァアナア




1972年に設立されたタヒチアン・アカデミーファレヴァアの目的は語彙、文法やスペルの標準化を含めて、タヒチアンの言語を保護し、強化することです。
また太平洋で話されている他の言葉の起源との関係を研究します。
そしてタヒチの言語に昔ながらの慣習を獲得する称賛を与えるためにとても重要な仕事でもあります。

薬剤師の家




この家は金属のギャラリーと高い天井の小さな部屋を持ち、19世紀植民地時代の病院建築の典型的な例です。
近隣に建築されたヴァイアミ病院の薬剤師の家でした。
1995年の環境の家にする作業中にいくつかのヤシの木特にポリネシアの風土のプリトチャルディアが植えられました。

コロニアルスタイルのヴァイアミ病院





1847年にラヴォ総督は兵士の部隊と共に到着して、コロニアルスタイルの病院を含めてパペーテの最初の恒久的な建物を建てさせました。
当時スタッフは3人の医師、1人の薬剤師とクリュニーの聖ヨセフの尼僧10人ぐらいから成っていました。
第二次世界対戦後、病院は130ベッドでは不十分になってきました。
1970年すべての活動はママオ病院へ移されて、ヴァイアミ病院は、結核と神経精神疾患の治療に特化されました。
1995年に病院はピラェ市に転送され、施設は行政サービスを収容するために使用されています。

真珠博物館




熱く真珠に人生を捧げているロバート・ヴァンの庇護で、この博物館は真珠の自然の美しさとすべての精神的な豊さの両方を紹介するために設計されています。
美術、歴史、技術、神話、哲学、宗教、詩と地理経済学・・・
ホモサピエンスと共に存在している真珠は自然の要素と勤勉な人間のエンジニアリングとの結合させ、物質と精神を共生させています。

パオファイのプロテスタント教会





パオファイのプロテスタント教会はフランス領ポリネシアの福音教会の中心のようなものです。
1906年にパペーテの創設者によって建てられて竹と織葉の最初の礼拝堂、小さくなりすぎたシロアムの古代寺院の場所に牧師のクルックによって1981年に建てられました。
しかし尖塔は当初のまま残されています。
日曜日のミサの時には、晴れ着を着て食物繊維の美しい帽子を身に着けて集まる熱気のある信者が歌う美しい讃美歌を聞くことができます。




  

Posted by タカ at 09:34Comments(3)タヒチネタ

2017年11月10日

タヒチ パペーテ散策④

パペーテ散策の続き・・・

30か所の観光名所?を地図を片手に歩き回る・・・

そんな日本人観光客は誰もいない。

タヒチの正しい観光ではない、そんなことは分かってるが、まだ散策は続けた。

ゴーギャンバニヤンの木




特別な木です。「オラ」と呼ばれる樹齢300~400年のガジュマルの木はいくつかの理由で保護され大事にされています。
先ずはおそらく人間に関連していない存在理由で、市内で目に見える唯一の在来種であるということです。
一方、植民地時代の名士のように画家のポールゴーギャンば歴史的なガジュマルの木゛の枝の高さ2メートルのプラットフォームで毎日アブサンを味わっていたからです。

ドゴール将軍の記念碑





誰がこの歴史を覚えているでしょうか?
少し思い起こして、再発見させましょう。
1940年6月18日の有名なロンドンからのドゴール将軍の呼びかけの後、タヒチは自由フランス軍に参加する最初のフランス植民地となりました。
ボランティアのポリネシア人はアフリカで、特にビール・ハキムの栄光の戦いなどで第二次世界大戦に参加しました。
1956年と1966年に二回パペーテを訪れたドゴール将軍は非常に人気がありました。
記念碑は中央に自由フランスのシンボルのロレーヌの十字架を形成する2つのポリネシアのカヌーを表すことになっています。

元ブルア大通り




元ブルア大通りのポウヴァナア・ア・オオパ通りは恐らくパペーテで作られた最初の道でしょう。
道は2つのセクションに分かれていました:ブーゲンビルストリート(最初の交差点からウォ―ターフロントまで)、そしてリュレーヌブランシュ。
1880年に二つのセクションはブルア大通りになって、2007年に自治を求めていたポウヴァナア・ア・オオパ氏の名前に名前を改名されました。
雄大なマルマルの木(アルビジアサマン)の並んでいるこの通りは市内で最も美しい通りの1つです。
政府の事務所などがそこに建てれいるのは不思議ではありません。

戦争記念碑




ブルア通りのリュ・デ・ポアリュの交差点にある第一次世界大戦や韓国、マダガスカル、インドシナと北アフリカで戦闘して没したポリネシア人の兵士の名誉記念碑です。
ネイティブの兵士は「ポアリュ」毛深いと呼ばれていました。
第二次世界大戦中、太平洋の大隊でポリネシア人の兵士は約90人が戦死し、彼らの犠牲とその追悼のため毎年5月8日に特別な賛辞が行われます。

大統領官邸






2000年6月28日に、フランス領ポリネシアの元大統領ガストン・フロスは前ブロシュ兵舎の敷地だった場所に大統領官邸の新しい建物を建築しました。
軍管区はビール・ハキムで殺された太平洋における主大隊ブロシュの追悼のために改名されました。
この建築はモダンな快適さの要求に適応しながら19世紀植民地時代の軍事建築の原則を維持するようにデザインされました。
この建物は57の議員によって選出されるフランス領ポリネシア政府の大統領の官邸です。


経済社会評議会




国の機能に不可欠な場所。このモダンな建物は伝統的な建築の要素(漆喰、レンガ、タイル)古いコロニアルスタイルの建物の様式が組み込まれています。
フランス領ポリネシアの第四機関である経済社会及び文化の評議会(CESC)の51メンバーの館です。CESCは政府とフランス領ポリネシアの議会への諮問的な役割をもっています。
原案または提案された゛国の法律゛に意見を与え、彼が検討するトピックについての提言を含むレポートを準備します。


まだ散策は半分・・・続く・・・




  

Posted by タカ at 16:49Comments(0)タヒチネタ

2017年11月10日

タヒチ パペーテ散策③

タヒチ出張の報告の続き・・・

パペーテの市内散策。
②でも言ってるが、やはりタヒチはリゾートであり、市内散策より、海辺でのんびりするのが正しい過ごし方だ。
だが、どんなものがあるのか周ってしまった。

議会の庭







長い間秘密の場所でした。
女王ポマレIVの庭は、現在の議会の敷地になっている王宮を囲んでいました。
1858年に町の名前になったパペーテやヴァイエテ川の元になる蚊の多い沼地にその庭が設けられました。
女王の秘密の庭は、パンノキ(テュムウル)、マンゴの木、アボカドの木、実に棘のあるコロソルの果物の木、
そしてガジュマルの木と美しい熱帯特有のバニヤンの巨大な木、様々な種類の植物を見ることが出来ます。
いくつかのカーリーや魚の尻尾の形した葉のあるヤシの木もあります。

王女の泉




澄んだ水は爽快です。
ヴァイエテ又はパペーテの源泉が美しい庭園の中心にあります。
タヒチ人はバスケットに入れたひょうたんをもって、特に純粋なこの水を汲みに来ました。
唯一この泉の水かココナツの水しか飲まなかったポマレIV王女は毎朝泉の周りにある自然のプールで水浴びをしていました。
召使は王女のために朝のお風呂にモノイを入れて、結局昼食の時間まで王宮の少女たちとお喋りして過ごしていました。
供の者はさらに下流で遊んでいました。


高等弁務官の公邸





60年代にパペーテで行われた大規模な改装工事により総督の邸宅は壊されて、フランス領ポリネシア5つの諸島を象徴する急勾配な屋根を持つ ゛ネオポリネシア゛スタイルの
建物で1966年に再建されました。
この邸宅は現在公共の秩序と法の尊重、国益を担当するフランス政府の代理人として一般的に「オッセール」と呼ばれているフランス共和国の高等弁務官の公邸兼自宅になっています。

まだ歩き続けます・・・
  

Posted by タカ at 16:27Comments(0)タヒチネタ

2017年11月02日

ツバメの巣

ベトナムに仲良しマダム5名をご案内した。




行きがけのこと。

ホーチミン空港の国内線でツバメの巣のクリームを買う。
日本円にして300円??
安い!
何度も店員に確認をし、本当に300円?と値段を確認。
そう、値段だけは何度も確認した。

早速、搭乗口付近で蓋をあけ、
指を突っ込み、手の甲やらに塗っていく皆さん。
割とさらっとしているね〜と首筋とかにも塗りまくるOさん。
甘い匂いでベタベタする。

全員が指を突っ込んでいろんなところに塗りまくってたところに
店員が慌ててやってくる。

もしや、、値段が間違っていたのか??
もう開封したし、返品できないぞ。

「お客様、それは飲み物です」




  

Posted by タカ at 17:21Comments(0)ベトナムネタ

2017年10月24日

タヒチ パペーテ散策②

タヒチでの無理やりの名所観光の続き・・・

再度いうが、タヒチではビーチでのんびりするのがいい、ホテルでゆったりするのがいい。。face02

名所なんかまわらなくていい・・・

でも、歩いてまわってみた

タラホイ広場




昔の平和と威信のシンボルで、偉業お成し遂げたヒヴァという戦士や戦略的同盟を結んだ偉人の「アリイラヒ」の集まりの場でした。
自然と植民地時代にはパペーテの政治の中心になって総督の住むところになりました。
以前は音楽堂がありました。
1878年にプランシュ総督のよって作られて、毎週木曜日にファンファーレを聞くために大勢の人が集まりました。
公館の前の芝では1966年までパリ祭の祭りに欠かせない歌と踊りのコンクールが行われていました。


ポヴァナア・アオオパの胸像




歴史的に有名な偉人です。
1895年5月10日にフアヒネ島で生まれた自治論者のリーダーは、1949年と1958年の間に代議士となり、1971年から1977年まで上院議員でした。
彼の発言は植民地システムの乱用とあさましさを非難するということでした。
彼は刑務所に入れられて、亡命もしました。
1977年7月にフランス領ポリネシアに自治権を与えられた前に彼の考え方の勝利体験できないまま。その数ヶ月前に死亡しました。
この胸像は多くの有名なフランスの政治家の胸像を作った、フランシュ・コンテ出身の彫刻家、ジョルジュウドーの作品です。


フランスポリネシアの会議




過去も現在も重要な決定が行われる建物の前で、少し政治の話しましょう。
国の普通選挙で選出される唯一の機関、フランス領ポリネシアの会議は、5つの諸島から57人の代議員で構成されています。
フランス領ポリネシアの行政を会議の審議によって決定します。
また「国の法律」いわゆる立法措置を採択し、国の予算と会計を決定し、大統領と政府の行動を制御しています。
議員は直接普通選挙によって5年間の任期で選出されています。


まだまだ歩いての観光は続く・・・





  

Posted by タカ at 16:31Comments(0)タヒチネタ