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動画作成:向田 隆

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2014年10月18日

台湾狛犬ツアー1日目

10月17日より台湾北部、北東部に残る狛犬を訪ねる旅が出発した。

1895年から終戦の1945年まで台湾は日本に統治された。

そのときに建てられた神社、そして社を守る狛犬。

そんな狛犬たちに会いにいく旅だ。

異国にまだ残る狛犬、それと日本統治時代の遺構にスポットをあてる。

台湾の旅はテーマを決めて周ると、同じところを周るのでも全く違う観光ができるので奥深い。

今回の写真は参加者のいちきくにこさんに送ってもらった。

まずは宜蘭神社の狛犬がお出迎えしてくれたようだface02

2日目以降も良い旅になりますように!





















  

Posted by タカ at 10:16Comments(0)台湾ネタ

2014年10月17日

十分の天灯あげ

先週の連休の台湾での話。

今回も評判がいい十分の天灯あげに行ってきた。

空は曇り空、ときおり小雨がパラつく。
風は台風が沖縄にある影響なのか結構強い。

それでも天灯あげは台湾の連休と日本の連休が重なり、
地元の人間、外国人で賑わっている。

私はここでは何度も天灯あげをしているが、
こんなに面白かった天灯あげはなかった。

通常は風がそんなに強くないので、まず間違えなく上に上にと天高くあがっていき、願い事がかなうって感じがする。

今回は・・・

強風であおられ、あげると同時に2Fのベランダにぶつかり、炎をあげて燃える天灯。

屋根をやっと越したと思ったら強風にたたきつけられ、停めてあった車の上で燃える天灯。

あわててジョウロを持って店から飛び出し、水をかけるスタッフ。

天高く上がると願い事が叶うと言われているので・・

たたきつけられたり、途中で燃えてしまったら、とんでもないface07

おまえの願い事なんかかなえるか!!face04と天が言っているようで・・


そんなことなので皆さん、空まで無事上がるかヒヤヒヤ。

「実家が高く売れますように」

「来年中に結婚できますように」

「老後資金5億円必達」

などなど







いろんな願いを書いていましたが、

強風にたたきつけられ、屋根の上で燃える天灯も続出。。。。。face07

もちろん天高く上がっていったものもある。




天灯あげは是非、風の強い日に行って、スリルを味わってください(笑)




  

Posted by タカ at 13:39Comments(0)台湾ネタ

2014年10月15日

潮州料理

10月の連休中は台風と行き違いに台湾に行ってきた。

元々の仕事は社員旅行の添乗業務であるが、夜、仕事が終わって、

友人の片倉佳史氏(台湾在住の作家)と食事をし、12月の台湾宴会列車ツアー(貴賓車両を貸切にしたツアー)のことを打合せをした。

台湾宴会列車ツアーの詳細を書くのはまたにする。

今回は片倉氏と食事をしたレストランの話。

前回、6月に片倉氏と食事をしたときに連れていってもらった潮州粥の店の味が忘れられなく、

片倉氏には今回はこちらからこないだの潮州粥の店で食べながら打合せをしましょうとレストランの指名をする。

この潮州料理とは・・・

片倉氏いわく、

中国の人にあなたはどこの地域の中華料理が美味しいかと聞くと・・・

あまりいろいろ食べていない人は
自分の住んでいる地域の料理が美味しいという

そして次の段階のレベルの人では
上海料理や香港料理を美味しいという
これは上海や香港の都会への憧れもあるらしい

そして色んなものを食べた美食家の方が選ぶのは
潮州料理を美味しいという

では潮州とはいったいどこなのか??
広東省の一部のごく狭い地域

広東省の地図(ウィキペディアより)


この地域は素材の味を生かす薄味の味付けで、すごく微妙な味加減をするのが特徴。

だから、お粥なんかはすごく微妙な味付けでたまらないface02
八時間も煮たお粥なのに米粒は崩れてなく、
中に入ってる具もひとつひとつがその味を強調しながらもバラバラではない、絶妙なハーモニーである。



そのほかにも、タロイモのチップスや以前は台湾の南部でしかとれなかった水蓮菜など美味しい食べ物がこの潮州粥では味わえる。








皆様も潮州料理の店を見つけたら、是非、入ってみてはいかがですか?



  

Posted by タカ at 08:36Comments(0)台湾ネタ

2014年06月11日

最後の同窓会その3

台南は今回の参加者にとって間違えなく故郷である。

3日目はAコースは自由行動、Bコースは八田與一さんらが建設した烏山頭ダムを見に、Cコースは台東へと3コースに分かれた。
Aコースのメンバーは台湾人の友人に会ったり、当時住んでいた自分の家を見に行ったり、親が勤めていたというサトウキビ工場を見に行ったり・・・・とそれぞれの思い出の地を訪ねてようだ。
この日は1日、雨も降らずにみんなの故郷訪問を天気も助けてくれた。




そして旅行4日目。台南を出発し、台北へ移動する日。
朝からしとしとと雨が降っている。
まるで故郷に別れをつげるみんなのために泣いてくれてるようだ。
最後の故郷訪問と覚悟している方が何人もいた。
そんな方たちには故郷の見納めだ。
最後にもう1度、母校の前を通り、濡れたバスの窓ごしに別れをつげ、高速にのった。





台北での最後の夜は「さよならパーティー」と称して企画をした。
日本から参加したメンバー、台北に住んでいる同窓生らが集まる。
明日は各地に帰国するのでみんなが一堂に食事するのは最後だ。
弊社からの参加者へのサプライズプレゼントとして、「中華獅子舞」を用意した。
参加者には内緒のまさにサプライズだ。







会長の挨拶、乾杯のあと。
シンバルン、太鼓の音が大きくなり、獅子舞が入ってくる。
参加者はいきなり何が始まったかとビックリしていたが、しばらくたつにつれ、
ニコニコ顔になり、写真を撮ったりして楽しんでいた。
サプライズ企画、大成功だ。
この獅子舞の打ち合わせを出発前よりずっとしていたのはスタッフの中西。
それなのに・・・・
残念なことに彼女は参加者の1人が行方不明になっていたので、ホテル中を探し回り、肝心なところを見ることができなかった(笑)






食事の途中に友人の片倉佳史氏が駆けつけてくれた。
彼は台湾在住の作家で台湾の近代史なども書いているので、いろいろと話を聞いたらいかがですかと私が提案していたからだ。
私が彼の紹介をするとすでにお知り合いの方も何人もいたり、彼の本を読んでいる方もたくさんいて、こちらも思いがけずサプライズになったようだ(笑)



2時間30分の食事が終わり、最後はIさんのハーモニカでパーティーを閉めることになった。
Iさんは「ふるさと」を吹いた。ハーモニカと一緒に全員が歌いだす。
私たちのふるさとはここだと確かめ合うように。




帰国の日、松山空港でKさんより言われた。
「昨晩の獅子舞は感動しました。本当にありがとう。
ああいうのを見ると体が熱くなるんですよね。やはり私たちには台湾の血が流れているんだと思います。」と。







長い台南第一中学校の同窓会の歴史が幕を閉じた。
最後の7年間だけであったが、この同窓会を担当できたことに旅行会社としての意義を感じた。


南中会の皆様、本当に御世話になり、ありがとうございました。
会長、事務局の皆様、お疲れ様でした。

そしてこの旅行のために一年間、ずっと事務作業をしたスタッフの中西氏。
彼女の頑張りのおかげで無事、終了することができました。
それから添乗員として現場で頑張ってくれた小田原氏、濱口氏、蒲原氏。
みなさんのおかげで大変喜んでもらうことができました。
ここに改めて感謝いたします。

(完)

  

Posted by タカ at 07:39Comments(0)台湾ネタ

2014年06月10日

最後の同窓会その2

6月3日。母校での同窓会の日を迎えた。
この日は卒業生と当時はまだ小学生で台南一中に通っていない方と二手に分かれる。
卒業生は母校へ。
後者の方たちは当時、家族で海水浴などに出かけていたという安平へ半日観光。

私たちにとっても一番気合をいれないといけない日にちだ。

母校に9:00に到着する。
現在では使われていない当時の校門を開けてくれ、中学時代にタイムスリップをしてそこから登校する。
その校門は当時のままだ。



中に入り、校長、後輩である在校生が出迎えてくれる。
地元のテレビ局や新聞社も取材に来ている。

現在は台南第二中学校とよばれているが当時は台南第一中学校である。
ちなみに現在の台南第一中学校は元は台南第二中学校である。
ややこしい。

校門を入ると、ゆっくりゆっくり中のほうに入っていく。

校舎を抜け、校庭までくると「昔はもっと広かったなぁ」などと・・・聞こえてくる。
当時の面影を残す講堂の前で全員で記念写真を撮る。
この同窓会にとても参加したがってたというTさんは少し前に残念ながら亡くなった。
そのTさんの気持ちをくんで息子さん夫婦が遺影をもって参加し、遺影をもって団体写真に写っていた。
そういえば、昨晩の結団式のときもテーブルの上に遺影があり、遺影の中のお父さんは同窓生たちと一緒に過ごしていた。



そのあと、その講堂の中に入り、総会がはじまった。
学校が設立して100周年であり、同窓生が高齢化したため、今日をもって解散するという「南中会」の最後の総会だ。
みんなで歌う最後の校歌を元気よく歌う。
そして物故者に黙祷。
総務報告、会計報告・・・・と続く。
事務局は86歳の方である。
本当に今までまとめてこられて大変だったと思う。心よりお疲れ様でしたといいたい。

総会が終了し、懇親会の準備に講堂の中を配置換えする間は校内参観を自由にしてもらう。
学校の協力で生徒たちもお手洗いまでの誘導や校内の案内を親切にしてくれる。

講堂では食事のデリバリー業者がせっせと準備をしてくれている。
打ち合わせとまったく違う配置だが、ケースバイケースでこういう場合は融通をきかせ、要領よくやるしかない(笑)。
12:00に懇親会開始。
日本人側8卓、校長先生や先生方のが5卓の懇親会だ。
乾杯の挨拶を94歳の台湾人同窓生のKさんが行い、パーティーが開始される。
Tさんの遺影もちゃんと同窓生の中にいる。
帰ってきましたね、故郷に。そして母校に。



食べきれないくらいの食事が出て、最後に昔ながらのマンゴー(土マンゴー)が出た。
これは計画の当初よりお願いをしていたのだ。
実はこの土マンゴーが採れるこの時期を選んでこの旅行自体を組んだ。

お腹いっぱいのはずなのに、子供の頃に大好きだった土マンゴーをみんな喜んで食べてくれた。face02







続く・・・  

Posted by タカ at 17:58Comments(0)台湾ネタ

2014年06月09日

最後の同窓会その1

6月6日、旧台南一中の同窓会を無事終わらせ、帰国した。face02

添乗員の中西はお客様の荷物を積んだり、降ろしたりするので、腕がパンパンに張っていることに帰国2日後に気づいたようだ。
同じく添乗員の蒲原は帰国してもまだ夢でお客様を案内しているという。(笑)
他の添乗員、小田原氏にしても、濱口氏にしても疲れが体に残っただろう。
私はというと帰国しても、町でお年寄りを見るたびに、この南中会のメンバーでないかという錯覚をおこす(笑)

それぐらい、添乗員にとってはハードなツアーであったが、大成功に終わった余韻に浸っている。

付き添いの方を省くと、同窓会の会員の年齢は一番下で78歳、一番年上で93歳
平均年齢は85歳ぐらいになる。
その方たちが成田、羽田、中部、静岡、小松、関西、広島、福岡、沖縄、アメリカ、そして地元台湾から集まって約100名で行った同窓会。

台湾が日本統治時代の台南一中の卒業生らの同窓会である。
台南一中は当時、日本人も台湾人も通う学校であり、もちろんその台湾人らは当時、日本人として育った。
終戦を境に国籍を強制的に「台湾」と変えられ台湾に残った同窓生と国籍は日本人のままだが生まれ育った故郷には残れず、強制的に「日本本土」へ帰らざるえなかった同窓生。

そういう同窓生らが一緒に学んで遊んだ母校で出会うという同窓会の企画。

昨年の5月から同窓会の事務局、台湾の同窓生、弊社(漫遊)と3者で打ち合わせ、検討をしながらやってきた。
一年がかりの仕事だ。
打ち合わせをする事務局の相手も台湾の同窓生もみんな85歳の超えてるのでメールでなんて出来ない。
FAX、手紙で何度もやり取りをする。
本当に高齢なのによく細かい打ち合わせにお付き合いいただいたと今、振り返る。
弊社からも細かい内容で打ち合わせ事項を送ったが、向こうからも細かい内容で要望などきたが・・・(笑)

飛行機やホテルを押さえ、高齢なのでスーツケースなどは運べないため荷物運びのトラックのルートを決めたり、母校でのパーティースケジュールやメニューを決め、チマキ、サバヒなどの懐かしいと思ってくれるメニューを入れたり、懐かしいと思っていただける台南のコースを吟味したりした。

そして一時は参加希望者が120名を越した。
・・が、近くなるにつれ、病気などでキャンセルが出て100名を少しきったぐらいで実施となった。
これは例年のことだから覚悟はしていた。

6月2日に各空港から台北にとび、台南に集結した。


初日は結団式と称し、台南大飯店の中のホテルで食事をした。
ちょうど当日は端午の節句ということでチマキをメニューに入れていた。
ビールと紹興酒で語り合う。
久しぶりに同窓生に会うということでいつまでも思い出話に花が咲く。
本当に元気だ。
いや、同窓生に会って、さらに元気になったうようだ。face02





私たち添乗員5名はお客様の食事が終わり、22時近くなってからの食事。
30度を超える台湾で朝から機内食しか食べていない我々はのども渇き、お腹も減っている。
火鍋とビールを出してもらい、誰々が歩けないので注意しないといけないとか、誰々は家族からこういう注意がきているからとかを確認しあいながら箸をすすめる。



明日の母校でのパーティーが本番。
寝たのか、寝てないのか分からない一夜を過ごした。

続く・・・  

Posted by タカ at 17:08Comments(4)台湾ネタ

2014年05月20日

台湾の宝くじ付きレシート

台湾のレシートには宝くじが付いている。

だから日本のようにレシートは不要です。とお客さんが言わない。

そのため、コンビニ、レストラン、ショップなどなど、どこでもレシートを発行を余儀なくさせられる(笑)




ちなみに賞金はこちら。

特別賞は1000万元 所定の番号8ケタ全て的中すること


特等は200万元 所定の番号8ケタ全て的中すること

    
1等は20万元 3種類ある番号で、8ケタ全てに的中すること

      
2等は4万元 1等の番号のうち、下7ケタが的中すること

 
3等は1万元 1等の番号のうち、下6ケタが的中すること

4等は4000元 1等の番号のうち、下5ケタが的中すること

5等は1000元 1等の番号のうち、下4ケタが的中すること

6等は200元 1等の番号のうち、下3ケタが的中すること


現在のレートは1台湾ドル=約3.5円だから

なんと特別賞は3500万円!!



脱税防止対策って分かりますよね?  

Posted by タカ at 10:49Comments(0)台湾ネタ

2014年05月14日

同窓会100周年

6月3日にある旧台南一中の同窓会がいよいよ迫ってきた。

今回で100周年。
そして今回でこの同窓会は参加者が高齢になったため、幕を閉じる。

弊社で担当をさせてもらって7年間。
毎年、お世話をさせてもらった。

最終回ということで最初は120名を越す申し込みであったが、高齢なので体調を崩されたりする方が大勢出て、
最終的にはトータル100名ほど。

添乗員は5名でお世話をする。

青春時代の場所で同じ時間を過ごした人たちと再会をし・・・

当時を語り、酒を飲み、観光をし、食事をする5日間。

当時の講堂で食事をするパーティー。

遊んでいた場所を巡る市内観光。

・・・・・・・・

サヨナラパーティーではサプライズの催し物も弊社で用意をしている。

人生の思い出になってくれて、楽しんでくれればこちらも嬉しい。face02

その前に明日から台湾に3日間行って来ます。icon01


育った家の前で記念写真の幹事さん夫妻


  

Posted by タカ at 14:53Comments(0)台湾ネタ

2013年05月15日

来年とびっきりの台南旅行用意しますね。

旧制台南一中の同窓会が今年も終わった。

一年がかりで取りくみ、企画から参加者把握、実施まですべてやっていくので無事終わった時は正直、ホッとする。

最初は120名近くの申し込みもあったが、やはり高齢なので健康状態などで40名近くはキャンセルが出る。

正月あけからは全国から電話がかかってくる。

用件までの前置きが非常に長い(笑)
病気の話が非常に長い(笑)
知らない人の話をする(笑)
など、一回の電話がやたらと長いのもこの会の特徴(笑)
(※嫌味をいってるわけではないですよ。face02

だけど、自分のじいちゃん、ばあちゃんと思って応対するように社内では決めている。

毎年、弊社で取り扱わせていただいてるので孫のように思われてるんでしょうね。face02
ありがたいことだ。

そして今回は私とスタッフの中西と2人で同行。
※スタッフ中西の奮闘についてはまた別に記事を書こうと思うicon195

今年は広島で開催。
翌日は呉や江田島、宮島を見学した。











2泊3日の行程が終わり、参加者が全国に帰るとき、

「来年また元気な姿で会おうな」

と口々に言う。

賑やかな旅行からまた普通の生活に戻る寂しさの瞬間。

そして友よ、来年も元気な姿を見せてくれという願いをこめての別れの言葉。









来年で台南一中は100周年を迎え、メンバーの高齢化にともない同窓会も解散。




来年もお元気な姿を見せてください。
私が最後の同窓会にふさわしい素晴らしい台湾旅行を用意しますよ。face02




  

Posted by タカ at 18:08Comments(4)台湾ネタ

2013年03月06日

八田さん

烏山頭ダムに行ってきた。
平日だったのでほとんど人がいない。
きれいに整備された公園。





台湾南部にあるこのダムは日本統治時代の台湾で八田與一氏が指揮をして完成させた。

八田與一氏はご存じだろうか?

私は湾生の方(戦時中の台湾で生まれ育った)の同窓会などの仕事をしているのでこの方のお名前はよく耳にする。
この方の命日である5月8日の慰霊祭に行くための手配などもよくやっているので知っている。

ただ、普通に台湾に来る日本人の観光客の方に「八田與一さんって知っていますか?」というと正直、知らないほうが多い。
お客様の年齢層などにもよるが・・。


当時、常に旱魃の恐れのあった嘉南平野はこのダムの完成が完成したことにより、農業に非常に大きな貢献をした。
台湾のことを一生懸命考え、この偉大なプロジェクトを完成させた八田與一氏は台湾人からももっとも慕われる日本人の1人。

先日、台南の帰りにここに立ち寄った。
八田與一氏のお墓参りも参加者でしてきた。





そこで1人が言っていた。
「八田さんも偉かったろうが、支えた人間、働いた人間、みんな偉かったんや、それを忘れちゃいかんな」



是非、皆さんも機会があれば行ってみてください!!  

Posted by タカ at 07:29Comments(0)台湾ネタ