› どこでも漫遊記 › 2017年08月08日

動画作成:向田 隆

2017年08月08日

故郷の海へ その2

予定より遅れること2時間、基隆郊外の港でHさん夫婦、妹さん夫婦、葬儀屋さん、私たちスタッフ、漁船の乗組員が集結。
パスポートを海上警察に提出し、船まで警察官が人数と顔のチェックに来て船が出発。
外国人を船に乗せるのは密航などの関係でやはり厳しいのだろう。




船は魚釣り用のクルーズ船だ。横にあったイカ釣り漁船でなくてよかった・・・






心配していた波もそれほど高くない。
船はまっすぐ基隆島まで進む。




基隆島は基隆のシンボルなのでそこの近くで散骨をするのがいいだろうと葬儀屋さんの配慮だ。
基隆島までは片道40分ほどかかった。

最初は穏やかだと思っていた波も島に近づくにつれ、波もだんだん高くなる。
エンジンを止め、船長が船尾から散骨をしたらいいと言う。
Hさんと妹さんで船尾よりお母さんの骨を基隆の海へ帰す。
はるか向こうには基隆の港がみえる。
海は深く濃い青が広がる。
Hさんのお母さんの希望した基隆の海への散骨が無事果たせた。


合掌










散骨を終え、港へ戻る。

綺麗な日の入りと一仕事を終えた張のおっさんのような満足気な笑顔が印象的だったface02







(終)
  

2017年08月08日

故郷の海へ その1

基隆の青い海に散骨に行ってきた。

5月の終わりに弊社のスタッフの笠がお客様に相談を受けた。
「台湾で母親の散骨をしたいが手配できるだろうか?」


弊社では
台南一中の同窓会
台南州の有志の同窓会
旧満州生まれの方の故郷を訪ねる記憶の旅
台南での日本時代の遺構を訪ねる旅
などなど戦前の外国の地に暮らした日本人をテーマとした旅は毎年のように取り扱ってきたが異国での散骨は初めての依頼だ。

お客様いわく、
お母さまの名前が「みなと」と言い、その名前は基隆港にちなんで付けられたという。
お母さまは2歳までしかその地で住んでいなかったようだが、自分の父親らが暮らし、自分の名前の源になっている基隆の海へ亡くなったら散骨をしてほしいと遺言であったとのこと。

まずはセオリー通りに台湾現地の旅行会社(ランドオペレーター)に頼む。
公の機関でないとできませんよというランドオペレーター。(調べていくとそういうことはなかった)
ガイドが引き受けてくれないというランドオペレーター。
やったことないので分かりませんというランドオペレーター。
数社の契約しているランドオペレーターのほかにも話をしたが引き受けをしてくれるところが皆無。

ではランドオペレーターに頼らないで、直接やれるようにしようと、
担当者を笠から中国語が堪能な張にバトンタッチ。
(※笠の名誉のために言うが、笠は英語は堪能、そしてついでに亀澤はスペイン語を勉強中)

散骨といえば「葬儀屋」だろうと
今度は基隆の葬儀屋にどんどん当たってみる。
葬儀屋も基隆での海上散骨はやっていない、台北のほうでは・・・などとなかなか道は険しい。
一応、役場などにも法的なものを尋ねるが、海岸より5km離れれば問題なし。
漁船をチャーターしさえすればいい。
では、どこかやってくれるはず・・・

そして、数日後、張がやっとやってくれる葬儀屋を見つけるface02

それから、葬儀屋や航空会社と打ち合わせをしながら、書類を翻訳して、それを領事館で証明してもらったり、
様々な手続きをしていく。張もいい勉強になった。

そして準備万端で出発当日を待つ。

8月に入り・・・

出発が迫ってきた。
そして、台風も迫ってきた。icon10

前日に基隆の葬儀屋から波が高い可能性がある、2日目にやる予定をは1日目にやらないか?と連絡が来る。
今回は散骨が主目的なのでほかの予定はどうにでも変えられる、それでOKと返事をする。

今回の旅のメンバーは依頼主のHさん夫婦、そしてその妹夫婦の4名。
Hさん夫婦は私と一緒に福岡より出発する。
妹さん夫婦は羽田より出発する。

出発当日になる。
依然、速度の遅い台風は九州と台湾の間にあり、北上してきている。
離陸、着陸には問題ないが、航路が限定されるために羽田便も福岡便も1時間30分から2時間ほど遅れるとのアナウンス。




日の入りまでに散骨が間に合うのか!?





(続)