› どこでも漫遊記 › 2017年10月24日

動画作成:向田 隆

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2017年10月24日

タヒチ パペーテ散策②

タヒチでの無理やりの名所観光の続き・・・

再度いうが、タヒチではビーチでのんびりするのがいい、ホテルでゆったりするのがいい。。face02

名所なんかまわらなくていい・・・

でも、歩いてまわってみた

タラホイ広場




昔の平和と威信のシンボルで、偉業お成し遂げたヒヴァという戦士や戦略的同盟を結んだ偉人の「アリイラヒ」の集まりの場でした。
自然と植民地時代にはパペーテの政治の中心になって総督の住むところになりました。
以前は音楽堂がありました。
1878年にプランシュ総督のよって作られて、毎週木曜日にファンファーレを聞くために大勢の人が集まりました。
公館の前の芝では1966年までパリ祭の祭りに欠かせない歌と踊りのコンクールが行われていました。


ポヴァナア・アオオパの胸像




歴史的に有名な偉人です。
1895年5月10日にフアヒネ島で生まれた自治論者のリーダーは、1949年と1958年の間に代議士となり、1971年から1977年まで上院議員でした。
彼の発言は植民地システムの乱用とあさましさを非難するということでした。
彼は刑務所に入れられて、亡命もしました。
1977年7月にフランス領ポリネシアに自治権を与えられた前に彼の考え方の勝利体験できないまま。その数ヶ月前に死亡しました。
この胸像は多くの有名なフランスの政治家の胸像を作った、フランシュ・コンテ出身の彫刻家、ジョルジュウドーの作品です。


フランスポリネシアの会議




過去も現在も重要な決定が行われる建物の前で、少し政治の話しましょう。
国の普通選挙で選出される唯一の機関、フランス領ポリネシアの会議は、5つの諸島から57人の代議員で構成されています。
フランス領ポリネシアの行政を会議の審議によって決定します。
また「国の法律」いわゆる立法措置を採択し、国の予算と会計を決定し、大統領と政府の行動を制御しています。
議員は直接普通選挙によって5年間の任期で選出されています。


まだまだ歩いての観光は続く・・・





  

Posted by タカ at 16:31Comments(0)タヒチネタ

2017年10月24日

タヒチ パペーテ散策①

タヒチは南太平洋に浮かぶ島々。

新婚旅行の人気の地である。
そこをグループでも販売できないかということで視察に行ってきた。

私の感想はグループでいくなら少人数でいき、きれいな島に行き、いいホテルに泊まり、
綺麗な海をみて過ごし、時間をきにせずくつろぐのがタヒチにはふさわしいかな?と思った。

だから新婚旅行にはいいんだな。






そんなタヒチで観光をしてみた。

パペーテで観光案内の地図をもらい、観光地?名所?となっている市内の30か所を歩いてまわってみた。

前日、モーレア島でも3時間歩き、その前も市内を歩き回り、この30か所観光で2時間歩き、また親指の爪が1枚丸ごとはがれてしまったface07

パペーテ散策(説明は観光案内所でもらった地図より)

パペーテ市のカテドラル




歴史ある場所で、パペーテ市の中央に建てられています。
タヒチ島の一周道路のキロ数表示「PK」の始点ともなっています。
この大寺院の建設は1844年から施工されて1875年のクリスマスイブに完成しました。
建築形式はゴチック建築です。
パペーテ市と共に1906年の津波に耐えて1914年9月22日にドイツの巡羊艦による砲撃を受けて、1983年の台風と1987年の暴動にも耐えました。
そこでは人々が数世代にわたり洗礼を受けて、聖体拝領の儀式も行われています。

バウンティーのフレスコ画



タヒチまでパンの木の実(ウル)の苗木を取りに来たブライ船長のバウンティー号の伝説がフレスコ画に描かれています。
イギリスの植民地にこの木を運んで、それを植えて安く奴隷に食事を与える目的で訪れたのです。
しかしタヒチ島を出た後、船で反乱が起こり、その計画は台無しになりました。
モザイクのフレスコ画は45度の二つのパネルで出来ていて、建物の建設の時にラべロ氏によって作られた二階建ての作品です。

マラウ王女の家



1875年に、15歳のマラウ・サルモンは35歳の王子のアリイアウエー・ポマレと結婚しました。
2年後王子は王様になりました。
しかし王様の死後、マラウは王女になりました。
1900年に現在の郵便局の隣に木製の家を建てたお母さんのアリイタイマイと同居しました。
「王の小屋」と呼ばれた、この目立たない家に三人の子供と生活しながら、国民の口頭の伝説を書き。研究や翻訳活動を続けました。


パペーテ散策は続く・・・  

Posted by タカ at 14:40Comments(0)タヒチネタ