› どこでも漫遊記 › タヒチネタ › タヒチ パペーテ散策④

動画作成:向田 隆

2017年11月10日

タヒチ パペーテ散策④

パペーテ散策の続き・・・

30か所の観光名所?を地図を片手に歩き回る・・・

そんな日本人観光客は誰もいない。

タヒチの正しい観光ではない、そんなことは分かってるが、まだ散策は続けた。

ゴーギャンバニヤンの木




特別な木です。「オラ」と呼ばれる樹齢300~400年のガジュマルの木はいくつかの理由で保護され大事にされています。
先ずはおそらく人間に関連していない存在理由で、市内で目に見える唯一の在来種であるということです。
一方、植民地時代の名士のように画家のポールゴーギャンば歴史的なガジュマルの木゛の枝の高さ2メートルのプラットフォームで毎日アブサンを味わっていたからです。

ドゴール将軍の記念碑





誰がこの歴史を覚えているでしょうか?
少し思い起こして、再発見させましょう。
1940年6月18日の有名なロンドンからのドゴール将軍の呼びかけの後、タヒチは自由フランス軍に参加する最初のフランス植民地となりました。
ボランティアのポリネシア人はアフリカで、特にビール・ハキムの栄光の戦いなどで第二次世界大戦に参加しました。
1956年と1966年に二回パペーテを訪れたドゴール将軍は非常に人気がありました。
記念碑は中央に自由フランスのシンボルのロレーヌの十字架を形成する2つのポリネシアのカヌーを表すことになっています。

元ブルア大通り




元ブルア大通りのポウヴァナア・ア・オオパ通りは恐らくパペーテで作られた最初の道でしょう。
道は2つのセクションに分かれていました:ブーゲンビルストリート(最初の交差点からウォ―ターフロントまで)、そしてリュレーヌブランシュ。
1880年に二つのセクションはブルア大通りになって、2007年に自治を求めていたポウヴァナア・ア・オオパ氏の名前に名前を改名されました。
雄大なマルマルの木(アルビジアサマン)の並んでいるこの通りは市内で最も美しい通りの1つです。
政府の事務所などがそこに建てれいるのは不思議ではありません。

戦争記念碑




ブルア通りのリュ・デ・ポアリュの交差点にある第一次世界大戦や韓国、マダガスカル、インドシナと北アフリカで戦闘して没したポリネシア人の兵士の名誉記念碑です。
ネイティブの兵士は「ポアリュ」毛深いと呼ばれていました。
第二次世界大戦中、太平洋の大隊でポリネシア人の兵士は約90人が戦死し、彼らの犠牲とその追悼のため毎年5月8日に特別な賛辞が行われます。

大統領官邸






2000年6月28日に、フランス領ポリネシアの元大統領ガストン・フロスは前ブロシュ兵舎の敷地だった場所に大統領官邸の新しい建物を建築しました。
軍管区はビール・ハキムで殺された太平洋における主大隊ブロシュの追悼のために改名されました。
この建築はモダンな快適さの要求に適応しながら19世紀植民地時代の軍事建築の原則を維持するようにデザインされました。
この建物は57の議員によって選出されるフランス領ポリネシア政府の大統領の官邸です。


経済社会評議会




国の機能に不可欠な場所。このモダンな建物は伝統的な建築の要素(漆喰、レンガ、タイル)古いコロニアルスタイルの建物の様式が組み込まれています。
フランス領ポリネシアの第四機関である経済社会及び文化の評議会(CESC)の51メンバーの館です。CESCは政府とフランス領ポリネシアの議会への諮問的な役割をもっています。
原案または提案された゛国の法律゛に意見を与え、彼が検討するトピックについての提言を含むレポートを準備します。


まだ散策は半分・・・続く・・・






↓参加中です。よかったらクリックお願いします!↓
にほんブログ村 旅行ブログ 添乗員・ツアコンへ
にほんブログ村
同じカテゴリー(タヒチネタ)の記事画像
タヒチ パペーテ散策⑥
タヒチ パペーテ散策⑤
タヒチ パペーテ散策③
タヒチ パペーテ散策②
タヒチ パペーテ散策①
同じカテゴリー(タヒチネタ)の記事
 タヒチ パペーテ散策⑥ (2017-11-17 16:34)
 タヒチ パペーテ散策⑤ (2017-11-14 09:34)
 タヒチ パペーテ散策③ (2017-11-10 16:27)
 タヒチ パペーテ散策② (2017-10-24 16:31)
 タヒチ パペーテ散策① (2017-10-24 14:40)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。